ひらめきは雨のように

現実のココロとスピリチュアルから、自身の紐解きへ

HSPという気質。障害でも病気でもないという意味がやっと。

単純に捉えてたんですよね。
HSPの概念を読んだときに発達もしくはグレー傾向の人に多いのではと。

実際、感覚過敏やショックの入りやすい発達傾向の人が
HSPのチェックリストをすればかなり高得点をたたきだしそうです。

発達とHSPってよく同列に語られているのに「病気でも障害でもない」
HSPに思い当る人で家族や親せきに発達の人がいない環境ってあるんでしょうか。
まあ、これは置いておきます。

普通に考えて5人に1人もいるのなら
全然孤独じゃないですよね。
なのになぜ孤独売りをするのか。
この疑問は最初からありました。

HSPという概念が出てきたときに
とても違和感を覚えたこと。


5人に1人
クラスでたとえれば班に1人?
そんなにいたっけ??
こういう出版物はターゲットを広めに設定してあるしと
そうも考えました。

今や才能と表してるものがほとんどですよね。
そしてやたら推してある、気質であって障害や病気ではないということ。

人の気持ちがわかる。

幼い頃から人の顔色ばかりうかがっていると
そういうクセがつきますよね。
そしてそれは長年の洞察なので結構当たっていると感じるはずです。
身を守るために全身全霊で洞察に入っていた
そんな経験を持っている人も多そうです。

暴力的なシーンが苦手なのも
その場面に感情移入しやすい
自他との境界があいまいであるということ。

人の気持ちがわかる。
感情がわかる。

わかっていたら自身をHSPと自己分析をしている人
カサンドラ症候群やパーソナリティ障害などの被害者にもよく見かけますが
本当にそうなら
無自覚のアスペルガーの人に困らされていないとも考えますし
アスペルガー傾向のある人がHSPを名乗っていることも多いですよね。


アダルトチルドレンという言葉を知ったのは
私がずいぶん若い頃でした。
そのときはそういう自分を癒すことに
重きが置かれていたように記憶しています。


やられた感(笑)


はじめに提唱した人は真剣だったかもしれませんが
今や「愛着障害」の特徴の説明からスピリチュアルの誘導へ
HSPのチェックリストの多くがそうなっている気がします。

いやいや、あらためて憑依体質とHSPの違いを個人的に感じました。
憑依体質自体の説明は少し一貫性がないので
似たようなものだと、現代のHSPの方がわかりやすいかと私も思っていたんです。


愛着障害、まじめな日本人の気質だとなおさらよくありそうです。
虐待や放置、過保護、過干渉
(いきすぎた虐待は別問題です)
20代や30代で親になった人が完璧な理解をして愛情をそそげるわけもないんですよ。
つたないながらも一生懸命向き合ってる親御さんは子供と一緒に苦しみながら
自分が育つ面も大きいです。
それさえも自分の力量を知る大きなこと。
私にとっては修験者の修行より子育ては厳しいように思います。

逆にヘンに子育てに自信があったり人にアドバイスしている立場の人の
お子さんにかぎって大抵深い悲しみを背負っている事象にも遭遇するので
余計そう感じてしまうこともありますね。


そして同じ境遇を経験をしていても
それが大人になっても影響している人とそうじゃない人がいる。
これこそ気質ですよね。


昔からヒントは出されていたんです。
詐欺師からもヒントはヒントです(笑)

ずっと人に気を遣って疲れている人。
がんばってるのに他者はいつも自分を傷つけてくる。

今日も傷ついた。
また傷ついた。

文章って難しいですね。
捉え方は本当にグラデーションです。

どちらにせよ、常時人を気にして行動していたら
自分は過敏だと感じることは多いし
発達傾向だと感覚過敏は通常モード。
(自分にとって普通だったので私はずっと気づいていませんでした(笑)


病院の診断で発達判定の人
無自覚やグレーな人
そうじゃない人、いると思います。

共通しているのは愛着障害から来るしんどさから
救いの手に見えた「HSP」という概念ではないですか。

たちのわるい概念に変化してしまった気がしますね。
ブームに踊らされていても
まだアダルトチルドレンとして自分に取り組み、癒す作業の方がマシでした。


人のせいにすることは自分も周りも楽しくないですよね。

ありがとうもごめんなさいも成長もない世界への入り口です。


HSPでもアダルトチルドレンでも発達でもたぶん同じような気がします。
自身を知って受け入れると他者にそういうアピールをしなくなる。
過去の自分とやっと手をつなぐことができるような感覚。


アダルトチルドレンという概念も元々は
アルコール依存症の親に育てられた子供にスポットを当てたもので
環境はなんとなく理解できますよね。

アルコール依存症自体が生きづらさであるということも。


むしろ親が自分の理解者であること
たぶんそちらの方が少数なんじゃないでしょうか。

毒親」という言葉もあと押しするかのように出現して
すっかり定着してしまいました。