ひらめきは雨のように

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「チキンライス」

薬物逮捕あるあるなせいか
なんとなく昨日Toshiのカバーから辿り着いた
本家の「チキンライス」を何度か聴きました。


「チキンライスでいいや」と何度か繰り返して
「チキンライスがいいや」との締めくくりでぐっときます。


この歌詞に出て来る「すっぱい湯気が立ち込める向こう」
こういうことを理解しづらくなった人が
多くなってしまった日本にも少し不安にもなりました。


特別ひねってあるわけでもなくて
以前にはよくあった「好き」

「好き」という言葉を使わずに
もっと胸に響かせるような表現での
アーティストならではな感じのあらわし方です。

本当に言いたいことはこういう表現の方が
情景を浮かべやすくわかりやすい。


今のネットの大きな害悪のひとつって
こういうことかもしれないとも思うんですよね。

その言葉の意味から想像できることは無限大でもあるし
もし想像できないならできないで曲の雰囲気で感じ取れていたことがあって
誰かの解釈を聞いて、それをマニュアル化させられることに危機感も覚えます。


英訳だと
「チキンライスでいいや」
「チキンライスがいいや」が同じような訳になっている
そんな解説も見ました。


あえてならneedかwantの差?かもしれませんが
こういうことはそういうことじゃないですよね。


今お金があるから「いいや」じゃなくて
ふりかえれば

「過去を受け入れた」

「生きざま、関わったすべて、愛しく思えた」


この唄は
そう私には聴こえてきます。







チキンライス / 浜田雅功と槇原敬之