ひらめきは雨のように

霊的な観点から現実の心の紐解きへ                         サイト内の文章、画像の無断転載引用はご遠慮ください。

「まずは自分を満たす」の解釈って、どうしてますか。

「まず自分を満たす」

こういう教えを受けたことありませんか。

この意味って平穏な状態や
言葉のままで受け取ると

「自分の心や身体が満たされてから
はじめて人を癒せる」

現実的にも「自分に余裕ができれば雇用ができる」など

なるほどとも思いますし
人との境界が薄い人なんかはとくに人が先に笑ってくれたら
「自分も笑っていいんだ」
そういうことを繰り返してる人が多いので

そこに、そういうことじゃないんだよ。
先に自分が笑ってこそからのスタートだと。

それは刷り込みや
世間や社会に刷り込まれたことで
まずは「自分を満たす」
そういうことで「他人にもおすそ分けができる」
こういう教えが多いのではないかとも思います。


今までやりすぎてしんどくなっていた自分に
気づく場面でもあって
「そうじゃないのか!ナルホド!」とか
ヒーリングなどの理屈ではもっともらしく聞こえるので
自分に言い聞かせるように

でもどこかでモヤっとしませんか(笑)

尊敬する先生の発言でさえ
すべてが正しいことはなく

たぶん「自分の中に答えがある」
この解釈も「感情」や「理性」の部分で捉えるだけで
何パターンもあるはずで

それを「腑に落ちたこと」が答えという
その人の感性の方向によっても変わる言葉。

そのときの「答え」
間違っていたと思った経験のある人多いですよね。
でも、だからこそ繋がる、ここまでの長年かけての理解。

わからないことは
わからないままで置いておいて
私自身としてはよかったなと感じています。

こういう投げかけは自分の国語力を駆使して
真剣に考えるチャンスでもあるような気もします。

けれど反面、国語力や想像力が少ない人は
現代のブログやYouTubeなどから発信されるカルトにハマりやすくもあって

勉強で難がなかったのに、ずっと孤独を感じている。
これはスピリチュアル系でよくある「精神性が高い」など
自分に都合のいい言葉で簡単に受け取らないように。


占いやスピリチュアル、自己啓発になにかを求めている人って

「これ以上、予想外のリスクを背負いたくない」
「ずっとなにかをごまかしている気がする」
「スッキリしたい」

この部分が大きいんじゃないでしょうか。


私の見解だけでいえば
それらを越えたときに本当の参考書みたいなものが
どこからかやってきやすい。

それは「スピリチュアル」な分野でないことも多く
「偶然」という形になるかもしれません。

「止まない雨はない」

これはお金や成功のことではなく
心のことだとも思っています。


今日、スーパーに行ったら
食材がごっそり減っていました。

感情のままに行けばその光景を見て
あるもの、買う予定ではなかったものを買っておこう。
そういう気持ちも理解できるなあと思いながら

こういうときもあって
それをネタにできるほどの
ゴハンを今日作りました(笑)


生まれてからの小さな思いや
地震や家族を持って経験したこと
予想外のできごとが
私をそういう思考に導いてくれたような気もします。


イレギュラーなときほど
日常の「おいしい」とか「お笑い」ほどに
癒されるものはないんじゃないかとも感じます。


心の底力?っていうのか
今日の私の心の力を上げてくれたものは
「新じゃが」(笑)

心の不安や苛立ち
あせりや不安から身体や精神に異常をきたしていた時期も
こういう機会に振り返ります。


自身を省みての作業は一人一人が行うもので
間違っていると感じたら覚悟を持ちながら修正していく。

自分の納得のいく行為の積み重ね。
そういうことじゃないかなと私なりに
それを含むと、ものごとを善悪でくくれなくなってもきます。


そうそう
私の「自分を満たす」ですが
さんざん考えましたが私に響く心は変わりませんでした。

「答えは自分の中にある」

こう言われても実際には
指導してくれている先生に気に入られるようなこたえを
無意識に選んでしまうこと、多いのではないかとも思うんですよね。



ふたりで半分こ

(昔から大好きな歌、私の中の答えのひとつ)